「会津での戊辰戦争の残像を巡る」行ってきました。
裏磐梯を出発するときは時雨れていて心配しましたが、猪苗代に下ると雲の切れ間もありほっとしました。集合場所の東山温泉駐車場は少し冷たい風が吹いていましたが、何のこれしきと五十嵐定信講師を先頭に元気に出発。駐車場すぐに趣のある小道がつづき、しばらく登って西郷家代々の墓地にでました。そこは松平家御廟所の山続きとなり、高遠藩保科家の出身の力を感じる墓所でした。奴郎が前を通って天寧寺まで。近藤勇(貫天院殿純忠誠義大居士)の墓と土方歳三(歳進院殿誠山義豊大居士)の慰霊碑にある戒名は容保がつけたものです。戊辰戦争での敗戦の責任を一身に受けた萱野権兵衛長修の墓と息子の郡長正の墓など、天寧寺は遠く会津城下を見渡せる静かな山懐にあります。続いて昨年の大河ドラマでの八重さんの山本家もお墓がある大龍寺にも寄りました。ひところのブームが去って、境内は銀杏の葉でうめつくされる晩秋ならではの佇まいで、ゆっくり景色を堪能しました。
昼食は十割そばをいただきました。雨の勢いが強くなり午後は中止も考えましたが、幸い小降りとなり小田山へ向かいました。途中で檜原軍物語でも登場してくる葦名家の御廟所にも寄ることができました。小田山を大きく迂回して山に入ると冷たい風も弱まり、徐々に陽もさしてきました。なよたけの碑、西郷頼母夫妻の墓、自刀21人墓などを過ぎ、小田山を一気に登ります。そこは旧会津藩士の共同墓地である大窪墓地で、扇状に広がりほどほどの手入れもされているどこか不思議な感じが漂うところでした。その斜面を登りきると向かい側に午前中歩いた天寧寺のある山が見えます。多くの藩政の改革をした田中玄宰や丹羽能教などの家老の墓、柴四郎・五郎の墓、伴百悦の墓、小田山城跡、西軍の砲台跡地など小田山は歴史の宝庫の様な場所でした。小田山も案内図はありますが、ルートによってイメージも変わります。今回もまた五十嵐講師の適切な解説で学び、さらに知りたい・歩きたいと思う小さな旅は、歩いて自分で確かめる・知る楽しさを堪能したツアーとなりました。参加者の女性たちは五十嵐講師に「墓地ガール」の名前いただきました。これいいかも・・・しれません。